jeddahに行ってみたよ

発端はフロンターレが決勝進出したから

 

別に行く気は本当になかった。フロンターレはそりゃ好きだけど、今年は距離を置こうとしていたくらいだ。

 

アジアとはいえ、ACLEの決勝に行ける機会は正直そんなにない。サポーターからしたら毎年狙ってるんだから、ミーハーなやつは来るな、と言われそうだが、近年は中東の各国リーグが資金力にものを言わせて欧州から選手を引き抜きまくっているし、Jリーグの競争が熾烈なのは確かで、そう簡単に毎年毎年いけるようなもの(にしたいが、)ではない。

 

これを会社のslackでつぶやいたら「絶対行ったほうがいい」と言われてしまった。

GWは特に予定はなかったし、確かに少し調べてみるとGWの連休でどうにかスケジュール的に収まるではないか。

 

サウジアラビアは近年観光ビザが解禁になってまもなくて、ちょっと面白そう!と好奇心をくすぐられた。何があるのかは知らないが、とりあえず決勝戦見にいきたい!と思ってしまった。チケットはどうも専用のアプリがあって、そこにフロンターレ事務局が取りまとめて発券してくれるとのことだったので早速購入申込みをしてしまった。価格は4000円。

 

そこからはアプリのダウンロード、飛行機チケットの手配、宿泊ホテルの予約をいろいろやって、なんとか行く算段がついてしまった。

そこからは早かった。気がついたら飛行機に乗っていた。

気がかりなことは観光ビザ。通常だと前もって観光ビザをネットで申し込んで大体3営業日くらいで申請が通るらしいが、今回はそんな時間ない。空港に着いたあとに申請する「アライバルビザ」というものでいけるらしい。

 

最悪、ビザの申請が通らなかったらどうしよう、最悪試合はホテルでdaznで見て観光を楽しめばいいか、と割り切っていた。

 

イスタンブールでトランジットして円の弱さに辟易しながらなんとかジェッダについた。

 

人の波に着いていき、無人のトラムに乗っていくと、ビザの自動発給機があり、そこで申し込むのだが、指紋認証、顔認証が全然反応してくれずトラップがあった。しかし機械の癖を完全に見抜いている現地職員が付きっきりで教えてくれてなんとか突破できた。

ビザの不安は↓のツイートのおかげでなんとか払拭できそうかな?と思ったが実際には一筋縄では行かなかったのでかなり焦った。

 

ハッシュタグ#フロサポジェッダいアジア青覇 」には色々お世話になりました!

 

ジェッダで過ごして思ったことをざっくり書くと以下のような感じ:  

車の運転がめちゃめちゃ荒い

ジェッダの幹線道路は片側4車線くらいある巨大な道路が南北に走っているのだが、制限速度が90キロとかなので、めちゃめちゃ飛ばすし、挨拶がわりにクラクションを鳴らしまくる。日常的にマリカーをしてる感じだ。そして車がめちゃちゃたくさんあり、沖縄以上に車社会だった。

英語は通じないところそうじゃないところが半々くらいある

ちゃんとしたお店とかだと英語を話せる人がちゃんといたりするけど、白タクの人とかはダメだった(n=1なので多分話せる人もいると思うが)。

お祈りは至る所で行われる

ハーフタイムにトイレに行ったら、トイレの入り口あたりの往来のど真ん中でお祈りをしている人がたくさんいたこと。すぐそばにお祈り用のスペースがあるのだけど、いっぱいだから仕方なくしてる様子。トイレの入り口なのでそうっと通ろうとしたら、後ろか行くように止められてしまった。マナーをどこまで守ればいいのかわからず申し訳なかったが、ちょっと経験がないので驚いてしまった。

アザーンにはなれる

お祈りの時間になると街中に「アザーン」というお経が放送されるのだが、結構すぐに慣れた。異国情緒があって良い。

めっちゃおしゃべりな人が多い

おしゃべりの度合いが違いすぎる。Uberのとあるドライバーの人はずっと喋りながら運転していた、しかも上で書いたようなマリカーのような運転をしながらである。

英語で「よう兄弟、お前と話したいやつがいるぞ」って電話越しにいきなり話しかけられたと思ったら中国人のモノマネされたので、「その発音はチャイニーズだ、お前の発音は日本人は皆違うと言うだろう」と英語で言ってみたが、あまり伝わっていない様子だった。

 

試合について

3日滞在しただけでも色々あったが、やはり試合は強烈だった

自分が到着した頃にはこの状況を収めるために警察が動いてゲート閉鎖されてしまったようで、大量のアルアハリサポーターと警察が一触即発状態になっていて、入場どころではなくなっていて、ネットにもアクセスできず状況がよくわかっていなかった。そんな時にフロンターレ側のスタッフさんがとりあえず向こうのゲートにフロンターレサポーターがいるのでそちらで様子を見ていますと教えていただき、事なきを得た。あのままアルアハリのサポーターの中に一人で特攻していくのはやばすぎた。

写真撮ってくれと言われたりしてフレンドリーな人も中にはいたが全体としてはカオスだった。

 

結果は残念の一言に尽きる。

サポーターのブーイングがすごかった。本当にすごかった。あれを受けて通常通りプレーできるのは難しいと感じた。そのくらいのプレッシャーがある。慣れるのにはそれなりに経験してないと難しいのでは。そういう意味でもサポーターの力というのは本当に大きいとよく言われることをまざまざと見せつけられた。そういう意味でも今回のサウジアラビアの集中開催は地の利が効いていた。

 

マルシーニョのドリブルは効果的だったし、あそこで決まっていれば状況は色々変わっていたように思うし、三浦があそこで負傷退場した瞬間の綻びをつかれてしまったのは非常に悔しい。

 

最後選手たちがサポーターのところに来て挨拶に来てくれたのだけど、一通りチャントを黙って聞いていた光景はちょっと言葉にできない。

 

あの異常な空間でフロンターレが勝っていたらめっちゃ面白かったのにな。そうなったら自分たちに身の危険は確実にあったはずだけどw

まとめ

サウジやばい

Decide to keep daily in English

Happy new year! 2025 began.

I decided to study English. Why did I study English? It's because I wanted to start something new. Sometimes you just want to start something new.

The other day, I bought some content about pronunciation for RP(Recieved Pronunciation) made by a youtuber.

This content is very expensive, but I kept me entertained during in boring New Year holiday season.

 

小学生の夏休みの思い出

小学校3,4年くらいの頃、父親がキャンプ用品を揃えて夏休みはキャンプに行くのにどうやらハマっていて、もしかすると母が行きたいと言い出したのかもしれない。近所のママ友や世間体を気にしてのことなのか、それとも子供たちのためを思ってのことなのかは今となっては分からない。

キャンプ場は確か長野県の涼しいどこかだった。白樺がたくさんあってすごく朝は寒かったのを覚えている。

キャンプと言えばカブトムシとクワガタとりに夢中になろうとしていた。なろうとしていた、というのは結局いなかったのである。キャンプに行く計画立てる際、全国のオートキャンプ場が載っている雑誌を買って読んでいた。そこにはキャンプ場のステータスが載っていて、カブトムシの有無まで乗っており、そこにはいないというのを知っていたのでキャンプへのモチベーションは最低。なので昆虫採集を封じられたぼくはやることが無くなってしまった。

その代わり、父親の作業(テントはり、用具の準備など)を手伝わされた。嫌な思い出である。
ただ、そのキャンプ場で友達ができた。多分女の子がいたのは覚えている。年は同じくらいだったと思うが、どんな顔だったのかも忘れてしまった。

ただ、なんか手をつないだ記憶があるようななかったような、淡い思い出があったように勝手に思っている。
恋心など何もない。ただただやることがなくメンドクサイとしか思っていなかったが、今思い返すといい思い出だ。
朝寒すぎてウインドブレーカーが必要なほど死ぬほど寒かったが、生乳で作ったソフトクリームと湧き水がすごく冷たくておいしかった。
他の出来事と交じっている可能性が大だが、なんかそれも年寄りの嗜みである。

帰り際に互いの住所を交換したので、しばらく年賀状が届いていたが、すぐに来なくなり、特に何も交流もなくなってしまった。

今だったらLINEの交換やSNSで交流するのだろう。同じように交流は徐々に途絶えるのだと思うが。

 

vsアビスパ福岡観戦記と見せかけた、フロンターレにハマるきっかけ

天神の屋台で飲んだ後にノリで書いているので要領を得ないことになっていると思うが書いてみる。

 

一応、フロンターレとはうっすいが繋がりはあって、社会人一年目に住んだ町が武蔵小杉の二ヵ領用水のほとりのアパートに住んでいた。当時なぜか川崎に住みながら茨城県の社会人一部のチームでサッカーをする、という訳の分からん生活をしていたので、暇な時は近くの等々力競技場に足を運んでいた。

 

当時は応援というより、プレーヤー目線で観てた。今のように純粋にサポータとしての観かたではなかった。小林悠がルーキーだったころ。

 

その後、プレイヤーを辞めて、ITエンジニアとして働く日々を過ごしているうち、サッカーからは距離を置くようになり、今に至るわけだが、色々あって200連休をすることになったw

 

これには明確なきっかけがある。

すでに鬱になりかけていて、つけ麺が砂の味しかしなくなったころ、悪魔のようなささやきを得る。

 

以前勤めていた会社のサッカー部でフットサルに参加した時の先輩がきっかけ。

コロナも一服したくらいの時。そのサッカー部は以前勤めていたりしていた会社の人のためのものだが、元社員とかその知り合いとかも来て気兼ねなく集まってフットサルをする感じ。初心者、経験者入り混じってワイワイやる感じ。

 

元社員の先輩が「退職した矢先にコロナが始まったせいで二年間無職でずっと浦和サポしかしてない」と言いだした。

レッズの試合に行きまくってAFCの試合も海外遠征してたらしい(コロナでも海外遠征する機会があったのかは謎)。

 

何それ超面白そうじゃん。ていうか二年間仕事しないとか何なの?って内心思っていたが、マンネリ気味だった仕事を思い切って辞めてみるというのもアリなんだと思って鬱っぽくなってて頭のネジが馬鹿になってたので本当に辞めてしまったw

理由は他にも家庭の事情もあったりするのだが、辞めるのもありなのでは、という気付き、得たのはこの時。

 

辞める前の一年ほどDAZNフロンターレの試合を見ていたので選手のことはある程度分かっていた(観ていた当時とは色々と選手が変わってて、なんか強くなってるので戸惑いはあったw)ので、思い切って久しぶりに等々力競技場に行くと、そんなに雰囲気は昔とは変わっていなかった。スタジアムは改修で大きくなってたけど。

 

等々力での試合を見るにつけ、会員になり、数万もするPSGとの試合も見に行くようになり、気づいたら福岡にまで来るようになった。

 

福岡に来たのは、元々JAL株主優待券があったので、これを使う言い訳が欲しかったというのもある。

 

ワーケーションがてら前乗りして福岡入りしたけど、ちょっと計画性が無さ過ぎたので下調べの必要性を感じた。

 

一応、試合についても。

声出し応援について。

いきなりアウェー戦のゴール裏参戦ちょっとやりすぎた。

声出しといっても、マスク着用がマストでしかも蒸し暑かったので結構体力的にはキツいと思った。

普段は指定席メインで観戦していたので正直、ほとんどチャントを覚えてなかった。しかもコロナの時期に観戦をし始めたので、声出し応援にちゃんと参加するというのもこれが初めてだった。軽くyoutubeでおさらいした程度。

基本的には有名な歌の替え歌なので、すぐに口づさむことはできた。

隣の人がすごい声を出しててそれに乗っかれた、というのも大きい。

某クラブだったら間違いなくキレられる所業だったけど、応援団?の方が試合前にチャントの歌詞カードを配っていてすごく親切だった。

 

応援についていくのに精いっぱいだったので、試合展開とかに集中できなくなったけど苦楽を共にできるのは楽しい。サッカーを戦術や技術目線で観たい時はメイン、バックスタンドとかから観るのがやっぱりいいなと思ったけど、熱さを味わうならゴール裏なのは間違いない。

 

しかし家長の逆サイドからのフィードをトラップする技術はさすがだった。

 

 

出会った人たち

エンジニアに戻るにあたって、最初の会社でお世話になったりあこがれた人達を思い出してみる。

生まれたヒナは初めて出会ったものを親とみなすじゃないが、新人の頃に出会った人達から受けた影響は大きいはず。

  • 先輩1

休憩スペースで文系だった同期に線形代数の基底の変換行列の導出について教えていたら、休憩しに来た先輩がやってきて、話に交じってきてくれた。 一通り説明すると、「なるほど、おもしろい!」と指をパチンと鳴らして仕事に戻ってしまった。何が面白くて指を鳴らしたのか今でも分からない。
その先輩が勉強会でラムダ計算についてしゃべってくれたことがあった。中身自体は全く理解できなかったけど、スライドも時折笑いをまぜる発表スタイルが面白すぎてあこがれた。

  • 先輩2

客先常駐先の部署の人。あまり関わり合いがなかったけど、ある時大量のJUnitで大量のテストコードを書いてそれをJenkinsで回す、
みたいな辛い仕事をしていた。その人は普段忙しくてあまりオフィスにいないのだけど、自分のような新人とかにも色々声をかけてくれるような人だった。
全く仕事を一緒にしたことがないのだけど、いわゆる仕事のできる人。 ある時、その先輩が通りがかった時にその仕事の話を訊いていて、あまり自分がやっている事がしょぼすぎて、思わず涙が出た。

  • 先輩3

まったくやったことのない、サーバの構築やインフラ周りの仕事を振ってくれた先輩。 分からないことがあったら、「分からない?よし、何回でも教えてあげるよ。分からなかったら何度でも聞いて」と言って要領を得ない自分に根気強く向き合ってくれた。
昼ごはんとか年中一緒に行ってくれて、技術の話とかいろいろな話をしてくれたのはありがたかったし、とても楽しかった。

  • 先輩4

サーバ構築やネットワーク設計などで度々お世話になった先輩。先輩というほど近くもないぐらいベテランの方。
その先輩がすごい無茶な仕事を引き受けた際の作業日誌に「とにかく最初は情報を集めまくれ」「サーバのマニュアルは枕の横において肌身離さずもって読み込め」
みたいな技術者の意地みたいなことが書いてりしていて、そのプロセスがとても気合が入っていて面白かった。
炎上案件にヘルプで入ってくれた時にも、こっちが要領を得ない説明なのに超エスパーで必要な情報を的確に提示しながら徹夜で対応してくれたのは本当に助かりました。

他にもたくさんいるけど、ぱっと思いついて文章に起こしやすそうな方々だけだけど、とても恥ずかしくもあり、なつかしい。

やっぱりエンジニアに戻ることにした

桜が全国的に咲き始めた頃に福岡に行った。

 

きっかけは以前の職場の近くに長浜ラーメンがあって、どうも味が変わったらしく、本場の味はもっと違うよ、みたいなことを思い出しから。

それに九州に行ったことなかったので。

 

国内旅行はあまりしたことがなかったのでいろんなことに気づいた。

- 成田空港は遠い

都内からだと意外と遠く、チェックインギリギリになってかなり冷や冷やしたので、今後はできるだけ羽田から行くようにしたい

 

- 耳鳴りが以前よりひどくなっていた

北海道や沖縄へ数回、海外2回飛行機に乗ることがあったのだけど、スイスに行ったときにめちゃめちゃ耳鳴りつらくて死ぬ思いをしたけど、それ以外の飛行機では問題なかったが、福岡に行くだけでめちゃめちゃ耳鳴りの症状が出てしまって辛かった。

 

- やっぱりエンジニアに戻ることにした

「令和」発祥の地が大宰府の近くにあって、そこで佇んで1時間ほど桜を眺めていたら、ふとエンジニアに戻ろうと思った。あまりに暇すぎて花見に来ている人々を見ていたら発狂しそうになった。

 

- 長浜ラーメンは福岡と東京では味はあまり変わらなかった

自分の馬鹿舌でしか判定してないので何とも言えないが、たいして変わらなかった。やりうどんの方がインパクトあった。